
白洲正子
白洲 正子(しらす まさこ、1910年(明治43年)1月7日 – 1998年(平成10年)12月26日)は、日本の随筆家。 「白州正子」は誤記。東奔西走する姿から、「韋駄天お正」とあだ名された。読売文学賞二度受賞。
薩摩志士で伯爵樺山家に生まれた自らの性質や、その出自を生涯を通じ強く意識(その事で夫次郎と口論となり張り手をしたこともあった)した。
幼少期より梅若流の能の舞台にあがり、能に造詣が深く、青山二郎や小林秀雄の薫陶を受け骨董を愛し、日本の美についての随筆を多く著す。梅原龍三郎や秦秀雄、晩年は護立の孫で元首相の細川護熙、河合隼雄や多田富雄等との交友もあった。また名人といわれた能楽師・友枝喜久夫の仕舞の会を自宅で開き、演芸研究者渡辺保も参加していた。
骨董収集家としても著名。収蔵品は武者小路公種の百人一首ほか数々の名品揃いである(愛蔵版「私の百人一首」に所収)。
姉に近藤泰子、夫は白洲次郎。長男は白洲春正(1931年2月5日生まれ)、次男は白洲兼正(1938年1月3日生まれ)、長女は牧山桂子(1940年6月生まれ)。白洲信哉は孫で、兼正と小林秀雄の娘明子の子である。
白洲は世阿弥と両性具有をライフワークとして多くの作品を著した。また、日本古典の再読、再評価によって後の研究者に影響を与えている。白洲の作風は用語の定義など微妙な問題は曖昧にぼかす、論理的な根拠は示さずに直感で自己流の解釈を示す、厳密な解釈は避け結論は出さずに有耶無耶に終わるなど、あくまで評論家の作風であり学者の筆法とは異なる。これは白洲の作風の欠点でもあり、美点でもある。
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