
ジョージ・エリオット
ジョージ・エリオット(George Eliot、1819年11月22日 – 1880年12月22日)は、イギリスの作家。本名はメアリー・アン・エヴァンズ(Mary Anne Evans、マリアン Marian ないしメアリ・アン Mary Annとも)。ヴィクトリア朝を代表する作家の一人で、心理的洞察と写実性に優れた作品を発表した。『アダム・ビード』『サイラス・マーナー』『ミドルマーチ』などの作品で知られており、特に『ミドルマーチ』は後世のヴァージニア・ウルフによって賞賛され、マーティン・エイミスやジュリアン・バーンズによって英語で書かれた最高の小説のひとつに数えられている。
ウォリックシャー、アーバリーの土地差配人のもとに生まれる。母は後妻であった。メソジスト派の雰囲気の中に育ち、1832年にバプテスト派の宗教色の強いコヴェントリーの学校に入れられるが、翌年に母が死去し、父の世話をみるために退学。以後家庭で古典や外国語を学ぶ。少女時代のエリオットは敬虔な福音主義者であり、感受性が鋭く知識欲の旺盛な子供であった。22歳のとき父とともにカヴェントリー近郊に移る。ここで主知主義の哲学者であったチャールズ・ブレイ(英語版)を知り、彼らとの交友を通じて宗教観の動揺を経験する。1846年、ダーフィト・シュトラウスの『イエス伝』を翻訳刊行。1849年、父の葬式を済ませた数日後にブレイ夫妻とともにヨーロッパ大陸旅行に出、夫妻とともにスイスを訪れたのち、ジュネーブに一人で滞在する。
帰国後の1850年、以前から寄稿していた『ウェストミンスター・レビュー』の副主筆となり、ロンドンに移り住む。同地でハーバート・スペンサーと知り合い、彼の紹介で翌年に哲学者ジョージ・ヘンリー・ルーイス(英語版)を知り彼と恋愛関係になる。ルーイスは妻子のある身であったが、この関係はルーイスが死去するまで20年間続いた。1854年、フォイエルバッハの『キリスト教の本質』を翻訳出版、同時期に事実上のハネムーンとなるドイツ旅行をルーイスと行う。1857年『ブラックウッズ・マガジン』に、ルーイスの名を借りた男性名「ジョージ・エリオット」での筆名で、最初の小説作品「エイモス・バートン」を発表。続編を書き進め、同年に『牧師館物語』として出版する。1859年に初の長編『アダム・ビード』を発表。
無実の罪を着せられた絶望から貯蓄だけが楽しみとなった職工が、孤児の養育を通じて心を洗われていくさまを描いた代表作『サイラス・マーナー』(1861年)、サヴォナローラ時代の15世紀イタリアを舞台とした『ロモラ』(1862年)、複数の家庭のドラマを錯綜させ地方都市の生態を描き出した大作『ミドルマーチ』(1871-72年)など、一作ごとに文名を高めていった。
1878年にルーイスが死去。その2年後に自分より20歳年下の青年実業家ジョン・ウォルター・クロスと結婚し、知人たちを騒然とさせたが、結婚からわずか7ヵ月後にロンドンで死去した。

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