
「評価は他人のもの」他人の目を気にせず、自分の人生を生きる人の話。
皆さん、いかがお過ごしですか? 輪太郎です。
今日は、勝海舟の 「行動は自分のもの、評価は他人のもの。」 という言葉について書きたいと思います。
私が運営している、金言ブログに載せた言葉です。
ほんのちょっとの時間、お付き合いいただければ幸いです。
昨日の敵にも仕えた人物
勝海舟は徳川幕府の幕臣で、有名な江戸無血開城を西郷隆盛と実現させた人物です。
彼らの英断で、当時世界的大都市だった江戸が、戦火を免れたのです。どれだけの人の命が救われたことか。
そして明治維新後、明治新政府に請われ、政治に参画しました。
これに物申したのが、かの福沢諭吉です。
「武士たるもの、二つの主人に仕えるとは何事か」という旨の難癖をつけました。
これが「やせ我慢の説」で、基本的には勝と榎本武揚の二人を非難するものでした。
榎本武揚は、戊辰戦争の最後、五稜郭まで指揮官として旧幕府軍を率いた人物です。彼も新政府に請われ、敵であった新政府に仕えています。
福沢は特に、咸臨丸で共に渡米した勝に対しては、どうも思うところがあったようです。
榎本武揚はこの批判に対し「後日返答する」としたまま、福沢が亡くなるまで返答することはありませんでした。
「やせ我慢の説」に対する、痛快な返答
これに対し勝は文書にて、 「行動は自分のもの、評価は他人のもの。」 という旨の言葉を福沢に返しております。
文面は丁寧ですが、簡単に言うと「自分がとった行動については、自分で責任を取っている。それに対して誰がどう評価しようが、知ったことではない。」ということです。
とても痛快な返答です。
現代でも同じですが、政治家をどうこう批判するのはカンタンです。
でも、実際に政治を行うのは非常に難しい。
しかも、今のような平和な世の中ではなく、判断ミスによっては何万人という犠牲者が出るかもしれない状況で、政治を放り出し逃げてしまった将軍の代行をしてきた人です。
そんな人物が、「俺は俺。批判は他人が勝手にすれば良し」という。
良いじゃないですか。
福沢は優れた学者です。欧米の文明もその目で見ておりますし、非常に開明的な学者と言われておりました。
しかしそんな人物が「武士たるもの・・・」と言っている時点で、古い価値観から抜け出せていないことが分かります。
勝と福沢、どちらが時代を読めていたのかは、明白です。
勝にとっては、徳川とか新政府とか、どうでも良いことだったのでしょう。
世を治める、という、もっと大きな視線で事に当たっていただけに過ぎないのです。
また、勝は新政府に仕えながら、生活に困った旧徳川幕臣の人々を、私財を投げて面倒を見ていたと言います。
決して私利私欲や名誉の為に、新政府に仕えていたのではないのです。
近年、明治維新が無血革命の成功例として、世界中の学者から研究されています。
江戸城を明け渡す英断をした勝海舟は、もしかしたら福沢諭吉よりも1万円札にふさわしい人物かも知れません。
辰吉丈一郎さんから学ぶこと
人の目、というのは、誰だって気になります。
庶民の我々でさえそうなのに、著名人であれば尚更だと思います。
それでも、他人の評価を全くものともせず、自分の生き方を貫ける人が居ます。
例えば、辰吉丈一郎さんがそうです。
彼は何度も引退の危機に迫られ、様々な外圧の中でも、ついに引退することがありませんでした。
50歳を超えた今でも、彼はボクシングのトレーニングを欠かさないそうです。
非現実的な気もしますし、一時代を築いたヒーローであるからこそ、老いてなお往生際悪く現役を宣言していることについて、格好悪い、という人がいます。
そうでしょうか?
私には、この上なく素晴らしい事に思えます。
50歳を過ぎても、自分は現役。
何故?
自分がそう決めたから。
これって、凄いことです。
彼のようなヒーローは、一番強い時に引退するのがカッコイイ、というのが常識なんでしょうが、彼にとってそんなことはどうでもいいんです。
他人が何を言おうが、自分の人生だと知っているからです。
今でも世間の目に晒されているのに、それをものともせず、自分の人生を生きる。
とんでもなく恰好良い男です。
自己中、って、悪いことなの?
適当、っていうと悪い言葉に聞こえますが、本当の意味は「丁度良いこと」です。
自己中心、という言葉も、いかにも「他人はどうでもよいという、反社会的な考え」のように使われていますが、それってどうよ、と強く感じます。
確かに、自分さえ良ければ、という考え方は感心しません。
でも、自分の事をちゃんと考えられない人は、他人の事などなおさら考えられるハズがないのです。
みんな、自分の為に生きているのですから、自己中心的であって当然です。
他人の評価を気にしてばかりの人生より、自分の思う道を生きられる方が、はるかに良い人生と言えます。
自分の人生は、他人が決めるものではない
結局、自分のことは自分で責任を取るしか無いんです。
他人がどうこう言っても、他人が私の人生に責任を取ってくれることはありません。
結局、自分で責任をとるのなら、自分のやりたいようにやった方が、後悔が少ないハズです。
そう考えると、他人の評価に一喜一憂するのがいかに馬鹿らしいか、わかるのではないでしょうか。
幸い、私は若い頃にソレに気付いたため、楽な人生を送れている気がします。
また、他人が責任を取ってくれない事を知っているからこそ、自分が他人に責任を取れないことも良く理解しています。
他人の評価を気にしない、という事はとても難しいことですが、別に神経が図太い人の特権ではないと思います。
自己中である事がコツかな、と、個人的に思っています。
かといって、他人への思いやりが不必要だ、と言っているわけではありません。
ただ、他人を思いやる前に、まず自分の事をキチンとしよう、という話です。
そして、自分に対しては絶対に忠実でなければいけないと思います。
自分自身に約束したなら、自分を裏切らないことです。
そうして、自分の行動に自信を持つことができれば、周囲の雑音は気にならなくなるはずです。
難しいのは分かっていますが、自分の人生を生きるには、他人の評価など気にしてはいられないよ、という話でした。

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