
「高額宝くじに当選しても金持ちになれない」説について
皆さん、いかがお過ごしですか? 輪太郎です。
もう30年ほど前の話ですが、宝くじで10万円当選したことがあります。
いわゆる「組違い賞」というやつで、頭の数字が1番だけ違っていて、あとの数字は全て合っていました。
「88」が「78」であれば、1億円でした(笑)。
また、頭でなくて末尾が1番違いであれば、2千万円でした。
かすりましたね~。
10万円でも高額当選となり、窓口では換金できません。
第一勧業銀行(今のみずほ銀行)の本店に立ち寄り、窓口で「宝くじに当選したんですが」と言うと、いつもは猛烈に待たされるのに、僅か数秒で3人の男性に囲まれ、上階の立派な部屋に案内されました。
「いやいや、たったの10万ですから」と言っているのですが、ちゃんと聞いてもらえず、相当なVIP待遇をされました。
着座して担当者がやってくると、さすがにその方は慣れていて、喜びもガッカリもせず、キチンと対応してくれました。
そして、高額当選者の人たちについて、いくつかの興味深いお話をして下さいました。
前振りにしては薄っぺらい内容なのに長文となり、失礼しました。。。
という訳で、今日は「高額宝くじに当選しても金持ちになれない」説について書いてみたいと思います。
宝くじを買う人は頭が悪いのか
最近人気のヒロユキさんがTwitterで、宝くじを買う庶民のことを「宝くじを買うと金持ちになれると考える頭の悪さのせいで貧乏のまま」というつぶやきをして、賛否を呼んでいました。
彼は宝くじを買う人を「確率と投資金額のリターンが計算できない、頭の悪い人」と切り捨てています。そして、ご自身やホリエモンさんも庶民出身であって、宝くじに頼らずとも億万長者になれる、という旨のコメントをしています。
私から見たら、ヒロユキさんやホリエモンさんレベルの実業家になるのは、宝くじの高額当選よりも確率が低いように思えるんですが(笑)。
もっとも、1億や2億であれば、たしかに頑張って働いた方が現実的なことは間違いありません。
彼が言わんとしているのは、他力本願でなくとも、自身で道を切り開こうとしなければ未来は無い、という趣旨だったのではないか、と思います。
相当良く解釈しておりますが(笑)。
それであれば、私も賛成です。
ただ私は、「宝くじを買う人は頭が悪い」という考え方をするのは、ツマラナイ人だ、と思います。
例えばゲームセンターのUFOキャッチャーですが、「そんなにつぎ込むなら、お店で買った方が安いのに」と言う人がいます。
あれはゲームを楽しんでいるのであって、商品購入という行為ではないですよね。
楽しんだオマケで、商品をゲットできることもあれば、できないこともある。
商品をゲットすることだけが目的ではないんです。
ディズニーランドだって、アトラクションに乗ったところで商品はもらえません。
なのに、みんなお金を払いますよね。なぜ?
それは、エンターテイメントだからです。
宝くじも同じだと思います。
当たったら家を買いたい、とか、高級車を買いたい、とか、いろいろと考えるのが楽しいのではないでしょうか。
本気で当選する、と考えて買っている人って、どれだけいるんでしょう。
そう多くは無いと思います。
そして、本当にお金に困っている人は、宝くじさえ買えません。
私から見たら、「どうせ当たらない」と半ば分かっているのに、それを買う人たちは「貧乏」だとは思いません。
むしろ、ゆとりがあるのではないでしょうか。
こういったイベントを楽しめる人は、ハッピー体質だと思います。
私は、いくらお金持ちでも、こういう事を楽しめない、ツマラナイ人にはなりたくありません。
また、そういう人たちを馬鹿にするような、奢った心も持ちたくありません。
いいじゃないですか、大みそかにコタツとみかんで夢を見る、というのも。
宝くじに高額当選すると、不幸になる?
と、よく言われていますね。
信憑性のあるデータかはともかく、高額当選者の7割は、当選したことを後悔するそうです。
高額当選者には、みずほ銀行がメンタルケアサービスを用意しているそうです。
ググると、宝くじに当選した人の不幸な末路についての話はゴロゴロしています。
それは何故なんでしょう。
私なりの考えですが、それは「準備が出来ていないから」ではないか、と思っています。
お金、って、使い方にも技術が必要だと思いませんか?
10歳の子供10人に10万円を渡して、自由に使ってきなさい、と言ったら、10通りの使い方をしてくると思います。
ほとんどの子は、そんな高額なお金の使い方を教わっていないのですから、欲望に任せて買い物をしてくるでしょう。
それと同じで、日々の生活のやりくりでいっぱいいっぱいの人に、突然6億円渡したところで、使い方など分かるはずもありません。
また、前述したとおり、多くの人は「当たると思っていない」のです。
なのに、突然当たってしまったら、正気でいる方が難しい。
正しく使えるはずが無いのです。
また、高額当選は「お金で買えるもの」は提供してくれますが、当然「お金で買えないもの」は提供してくれません。
宝くじに当たったことが周囲に漏れると、皆が急に「親友」として寄って来るそうです。
そういう人たちを跳ねのけることは出来たとしても、本当の親友の場合は?
親友が、お金目当てに豹変してしまったら?
親兄弟の場合は?
不幸になった多くのケースは、周囲の変化に耐えられない、というものが多いようです。
それまで多くの時間をかけて得てきたものを、お金と引き換えに一瞬にして失ってしまうとしたら、、、。
その価値観によって「当選しなければ良かった」という人が7割になる、という事実があるのです。
そう考えると、人間も捨てたモノではありません。
本当にお金持ちにならなないと気付けない、というのは残念ですが、お金で幸せが買えない、という事を7割の人が実感するのであれば、我々もその7割に入っている可能性が高い。
ならば、少しはそういった人の不幸話から学んだ方が良いのではないでしょうか。
いったい、幾らあれば金持ちなんだ?
宝くじの当選金は、どんどん高くなっています。
勿論、物価や世相が反映されているのでしょうが、このまま上がり続けるのでしょうか。
人は一体、いくらあればお金持ちと言えるのでしょう。
多くの人は「それは人によってだろう」と言うと思います。
私も昔は、そう思っていました。
でも今は、宝くじを求める人達は「誰でも同じ」だと思っています。
最初は「1億あれば十分」とか「3億あれば十分」とか言いますが、結局は幾ら当たっても同じことなのです。
それは、人間の欲は海よりも深いからです。
その当選金では、すぐに満足できなくなります。
4畳半一間から2DKに引っ越せば、広くて喜ぶはずです。
でもすぐに狭くなって、今度は3LDKに住みたくなる。
3LDKに越してもすぐにまた、狭くなってしまう。
人は環境にすぐ慣れてしまうのです。
10円もらえて嬉しかったものが、そのうちに10円では足りなくなり、20円欲しくなり、30円欲しくなる。
スーパーの安売りなど、分かりやすい例です。
セール期間には、「ああ、安く買えて助かった」と喜びます。
ところが、セール期間が長くなると、それが当然という感覚になり、元の価格に戻った時には「値上げされた」と言い出す始末です。
人の欲はキリがないのです。
高額当選者が、それをもっと増やそうとして株やFXにつぎ込み使い果たした、という話もゴロゴロしています。
結局、幾ら手元にあっても、それでは満足できないのです。
1万円「しか」ないのか、1万円「も」あるのか
要は、お金持ちかどうかは「自分の心が決める」ものなのです。
1万円「しか」ない、という考え方の持ち主は、1億円持っても次第に1億円「しか」なくなるのです。
私たちは、常日ごろから1万円「も」ある、という思考を心がけた方が良いのです。
そういった思考を持てる人は、チャンスを掴みやすいと思います。
1万円しか無い、というのは、悲観とも諦めとも取れる心情が伺えますが、1万円もある、という思考には、まだ可能性がある、というポジティブな姿勢が伺えます。
このあたりが、私の考える「準備が出来ているか」どうかの違いに繋がっている、と思えるのです。
その時の状況に応じて、たとえ貯金が少なくても「こんなにある」と思える人は、貧乏であっても金持ちであっても、豊かに暮らすことができると思います。
1万円「しか」ない、と考える人は、その器に対して常に「しかない」という思考しかできなくなります。
これでは、いつまでたってもハラペコで、満腹感を得ることは一生できないのです。
貧乏は不便であっても、不幸ではない
私はヘレン・ケラーの「障害は不便であっても、不幸ではない」という言葉がすごく好きです。
(乙武洋匡さんが自著で引用されています)
これは、あらゆる事に置き換えられます。
しょうがいを持つかたの言葉ほど重くはありませんが、特に「お金について」は正しく置き換えられます。
「貧乏は不便であっても、不幸ではない」
私は、貧乏でも心豊かに暮らしている人をたくさん知っています。
彼らを見ていると、確かにお金がないことによる不便さは多くあるように思います。
タクシーに乗ればいいのに、と思う場面でも、列に並んでなかなか来ないバスを待つのは、やはり不便に見えます。お金は使いませんが、時間は使ってしまいます。
一つ一つの事柄を見ると、とても不便に見えます。
でも、心が貧しいわけではないのです。
逆に言うと、
「お金持ちは便利であっても、幸福なわけではない」
ということです。
こういう事を言うと「そんなもの、お金持ちになってみなければ分からないじゃないか」という人がいます。
そういう人は、ただひたすら「足りない生活」をするしかありません。
常に隣の芝生が青く見えるまま、決して自分の芝生が青くなることは無いでしょう。
なぜなら、「お金持ちでない、現在の自分の価値」も分からないなら、結局いくらお金を持とうとも、その価値は永遠に分からないままだからです。
結論:「足るを知る者は、富める。」
老子の言葉です。
ヒトの、永遠の真理です。
これについては書きたいことがあるのですが、長くなってしまいましたので、別記事に譲ります。
ただ、本日のお題「高額宝くじに当選しても金持ちになれない」説については、私は「これが答え」だと思っています。
今の経済状況に満足できる人は、もうその時点で「お金持ち」なのです。
今、足りないと思っている人は、高額当選したところで結局「貧乏」のままです。
資本主義社会、特にビジネスの現場では「現状維持は衰退」などと言われます。
これは「現状に満足するな」という意味で使われます。
もっともっと向上心を持ちなさい、というのは勿論、大切な考え方ですし、今の競争社会では必要な姿勢です。
でも、「豊かな心」という意味では、この考え方は当てはまりません。
人生はビジネスではありません。
あらゆることに満足できる、ということは、豊かに生きるコツです。
もっと言えば、今の生活に満足できる人は、今の生活に「感謝できる」のです。
常に足りない人は、現状に「感謝できない」のです。
この差は、人生においては非常に大きい。
幸福論においては、「感謝」は最も重要なキーワードだからです。
1万円「も」ある事に感謝し、いつも「ミリオネア気分」で、豊かな心で暮らしたいものです。

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