【学歴】や【資格】が意味するもの ~ マイナビさんの「学歴フィルター騒動」で憤るのは筋違い、という話 PART1

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東京都立川市の国営昭和記念公園内にある日本庭園。

【学歴】や【資格】が意味するもの ~ マイナビさんの「学歴フィルター騒動」で憤るのは筋違い、という話PART1

皆さん、いかがお過ごしですか? 輪太郎です。

つい数日前、マイナビの「学歴フィルター」問題がネット上で話題になりました。
興味がある方はググってみて下さい(でたよ他力本願)。
要は、企業が特定以上の大学をフィルターにかけて採用を進めているのでは、という問題ですね。

これは、憤る種の問題ではありません。
笑うべき問題なのです。
「うわ~、万単位の数相手に、メール誤送信やっちゃったよ~」というだけの話です。

この事件(?)が、学生をバカにしているから騒がれたのか、事実以上の深読みがなされ拡散されたから騒がれたのか、それとも本当に採用を大学名で差別していたから騒がれたのか、実際のところは私も良く分かりません。

ただ、「学校名で就職に不利がある」ことに不満を持っている、というのであれば、それはオカシイのでは、という話です。

学歴が「品質証明書」であった時代

私は昭和のベビーブーム世代に生まれ、世には子供が溢れかえっておりました。
当然、それに対する教師数も足りず、一人一人に目を配る教育など不可能、ましてや個性を尊重などしていられない時代でした。

そんな子供たちが社会に出る時、何をもって選別されるかというと、単純に「学歴」でした。
高度成長期においては、個性なんて不要で、人というよりは「歯車」としての優秀さが求められたのです。
学歴は、その「品質証明書」であったわけです。

正しいか正しくないかは分かりませんが、少なくとも私はそう思っておりました。
就職に学歴が重んじられていたのは明白な事実であって、その世代に生まれた我々は、ただそれに対応するほかありませんでした。

学歴社会というのは、そういった社会背景があるわけで、誰が悪い、なんてことは一概に言えません。

時代は変わり、少子化が社会問題となると、今度はその少数の「年金製造機」を丁寧に扱う必要が出てきて、表面上「雇用は平等でなければならない」などと騒ぎだすワケです。

そして、今回のマイナビさん「学歴フィルター」騒動。

むしろ最初から「フィルター」を見せてくれた方がありがたい

今回の学歴フィルター騒動に本質が似ているもので「特定年齢以上は不採用問題」があります。

今、求人の際に「39歳まで」などという文言を書くことは禁止されています。
もし書く場合は、「長期キャリア育成の為」など、いくつかの条件が必要となっています。

でも、そんな決まり、おかしくありませんか?

「誰でも等しくチャンスが与えられるべきだ」という崇高な理念は結構ですが、その企業が「オッサンは要らない」と思っている以上、応募したところで採用の確率はゼロですよね。

だったら、最初からそう書いてくれれば、お互い無駄な時間を浪費することはないのです。
100%不採用なのに、それを知らずに一生懸命履歴書を書く就活者と、それを受け取り、ただ処分する担当者。
何たる非効率でしょう。

学歴も同じです。

その企業が「偏差値60未満の大学出はイヤだ」と決めていたとしたら、応募条件に書いてあった方が、逆にありがたいと思います。
最初からムリなものに、期待を込めて履歴書を郵送する意味、あるのでしょうか。

ゴネたところで、選考基準など変わりません。
不採用の理由が学歴であっても、企業側が不採用理由を説明する義務はありません。
本質は何も変わらないのです。

ですので、「学校名で差別するな」と言っている人たちは、非効率的でデメリットだらけの、面倒な環境を好んで要求しているようなものです。
もし要求が通っても、得られるのは「形式」だけで、欲する結果は手に入りません。

「女優さんが、野球選手やIT企業社長とばかり結婚するのはズルい。一般人である自分にもチャンスをくれ」と言っている狂気と同じです。

まかり間違って要求が通り、お見合いできたとします。
それでも、あなたが選ばれることはまず、ありません。
それと同じことです。

「学校名フィルター」が必要になったのは、「大卒フィルター」が無意味になったから

学校名で優劣をつけられるのが不満であるのなら、「大卒以上」限定というフィルタにも疑問を持つべきだったのではないでしょうか。

「大卒限定」採用は、大卒が全体のうちのある一定割合であるからこそ、有効なフィルターと言えます。

例えば、大学レベルの教育を受けていれば、入社後の教育負担が少なくて済む、と考える企業もあるでしょう。大卒が全体の30%という時代なら、その30%の学生を採用したい、と企業が考えた時に、有効なフィルターが必要です。
逆に言うと、他の70%と区別するためのフィルターなのです。

ところが今は、受験者数よりも大学の募集数の方が上回っており、お金さえ出せば誰でも大学に入れる時代です。
つまり、100%大卒時代であれば、大卒というだけではフィルターと成り得ないのです。

もっとも、大卒は100%にはなりません。
ある一定数は、大学には進学しません。

でもそれは、「能力が無いから」ではないのです。
何故なら、今は「名前さえ書けば大学に入れる」からです。
進学しない理由は、経済的なものか、意思の問題か、、、とにかく「能力以外の何か」なのです。

つまり、もはや「大卒」だけではフィルターとならないのです。

ならば、100%を30%に絞るフィルターが他に必要となりますよね。
企業が「学校名フィルター」を必要としても、何の不思議もないのです。

「相対的な採用基準」という企業姿勢も問題

また、「全体の中の上位●●%が欲しい」という企業の姿勢にも問題があるのでは、と思うのです。

大学も商売である以上(特に私学)、その年がどんなに不作(失礼)であっても、ある一定数の学生を採用しなければ、経営が成り立ちません。

例えば、普段であれば「偏差値60」の大学しか入れない人でも、まわりの受験生の質が極端に悪い年であれば、運よく「偏差値70」のところに滑り込める可能性があります。 

そもそも偏差値とはその名の通り「偏差の値」なので、絶対的な優秀度を測るものではありません。年によって学生の出来の優劣が大きく変わることはあり得るのです。
なので、偏差値採用は「毎年、学生の質がほぼ均一」という条件がなければ成立しません。

例えば、教育方針が変わり、受験の出題範囲が狭くなって、受験がラクになったとします。
その場合、同じ偏差値60であっても、範囲変更前の学生の方が知識量が豊富な可能性があります。

「偏差値」や「学校名フィルター」というのはあくまでも「同年齢の中での相対的な順位」しか分からないという代物であって、「絶対的な能力」を証明するものではないのです。

本来は、就職も大学受験並みの労力をかけ、「相対的」ではなく、その企業にとっての「絶対的」な基準を満たした者のみ、採用すべきなのです。

まあ現実にはムリでしょうが、そのようなシステムが実現したら「学校名フィルター」なんてものよりもはるかに厳しい状況となるでしょう。

それでも「大卒の初任給の方が高い」のが当然な理由

ちょっただけ話がそれますが、、、。

大卒の方が高卒より初任給が高い、という事に不満を持っている方、それは筋違いです。
新卒採用の場合、「18歳と22歳の給料が同額」であるハズが無いからです。

この「4年間」の査定を無視して考えるのは、根本的に間違っています。

もし、Aさんが大卒、Bさんが高卒、で、2人とも「新卒採用」とします。
たとえ同期であっても、彼らの年齢は一生、4歳差のままです。
例え4年間という期間が学生という立場であっても、「4年」という経験が逆転することは無いのです。

もちろん、本人の努力の結果、何年後かに収入を逆転するチャンスはあります。
でもそれはBさんの努力の結果、4年という差に追いついた場合であって、「入社時」というまだ未知数のうちに「大学という4年間の投資を受けた22歳」と「投資を受けていない18歳」を同条件にすることは、やはり不可能なのです。

ただ、30歳にも40歳にもなってからの中途採用時に、大卒と高卒の給与差を大きく設定している企業については、私は「恥ずかしいなァ」と思います。

人の能力や経験を査定できない、という、自社の無能を公表しているようなものだからです。

学歴よりも職歴、または実績を見た方が、いくらかはマシなのに、あくまでも極初期の「学歴」という古い証明書に頼るというのでは、人事担当という本分を放棄するようなものです。

卒業から何年も経過していれば、当然本人の努力でビジネスレベルは大きく違うはずです。
そこを見抜けないと、採用は失敗します。
学歴など、一生を保証するパスポートではないのです。

「誰にでも等しくチャンスを」という「平等ごっこ」

ところで、私は何も「学歴フィルター」賛成、と言っているわけではありません。
実質的に企業に「学歴フィルター」がかかっているのなら、その現実を受け止める以外にない、ということを言っているのです。

現実を受け止める、というのは、妥協や諦めとはまるで違います。
社会に対して、個人とは無力なものです。
無茶な正義感で現状にあらがうより、合理的な行動を選択する方が、はるかに自分のためです。

何度も言いますが、表面上フィルターを見えなくしたところで、フィルターが存在しているのなら、結果は同じです。
決して採用されることは無いのです。

今の世の中で「誰でも等しく」などというのは、単なる「平等ごっこ」です。

そもそも、世の中は不平等だ、という事を織り込み済として生きた方が、はるかに前に進みやすいと思います。

だって、資本主義社会って、そういうものなんですもん。
生まれた時点でもうすでに、格差は生まれているんです。
江戸時代や、現代だとしても身分制度のある国、、、そんなところに生まれなかった我々は、まだ良い方だと思います。

ビル・ゲイツさんも言っています。
「世の中は不公平だ。まずその事を受け入れる事からはじめなければいけない」
当然の事です。

不平等だ、不公平だ、と騒いだところで、何も変わりません。
また、変わるまで待っていられるほど、人生は長くありません。

法律という、紙っぺらの上で変えることは出来ても、本質が変わらない限り意味がないのです。

だったら、自分が王様になって国を変えるか(日本の場合天皇制から変えなければならない)、現実を受け入れて、それに対応するための行動を起こすか、2つに1つです。

実際には「不平不満を言いながら、くすぶる」という選択肢もありますが、当ブログを訪れてくれる賢明なアナタには、その選択肢はナシですよね。。

王様になれない以上、もう我々に選択肢は無いのです。
ただ対応するのみ、です。

ああ、長くなりそう。。。
続きは「PART2」にて!


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