
【学歴】や【資格】が意味するもの ~ マイナビさんの「学歴フィルター騒動」で憤るのは筋違い、という話 PART2
皆さん、いかがお過ごしですか? 輪太郎です。
前回の続きです。
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【学歴】や【資格】が意味するもの ~ マイナビさんの「学歴フィルター騒動」で憤るのは筋違い、という話 PART1
それでは、もうしばらくお付き合い願います。
学歴や資格が示す、本当の意味
ちなみに私は、これまでに3ケタ数以上の人たちを面接してきましたが、誤解を恐れずに言えば、私は学歴を重視することはありませんが、無視はしません。
何故なら、学歴は「一定の努力はできます」という証拠だからです。
よく「オレはやれば出来るんだ」という人がいますが、何の証拠もありません。
でも、東京大学に合格した人は「やったから出来た」という証拠を持っています。やらないで入れる所ではないからです。
そんな努力の結果を無視するのは逆に、フェアではありません。
大学のランクで人の価値は測れませんが、努力のレベルをほんの少し垣間見ることはできます。
学歴は「優秀かどうか」ではなく「努力できるかどうか」の目安としては、まんざら不必要なものでも無いのです。
資格も同じです。
TOEIC900点を取っている人が、英語のスペシャリストというわけではありません。
むしろ、無資格でもネイティヴ並みにペラペラな人はウヨウヨ居ます。
それでも、帰国子女でもないのにTOEIC900点取る人というのは、努力を積み重ねられる人、と見ることが出来るのです。
大学名で合否をきめることが「不公平だ」と言うのは、「努力しているヤツの方が得するのはズルい」と言っているのと同じです。
努力の証明を無視された方が、よっぽど不公平だ、と、私は思います。
パスポートがなければ、交渉のテーブルに着けない
学歴はある程度、努力の証明にはなりますが、ただそれは「自己完結が可能な努力」の証明にしかなりません。
組織は「人」で出来ています。
ですので、絶対的に「対人スキル」は必要です。
対人スキルは残念ながら、学歴や資格で測ることはできません。
そんなわけで私は、自己完結スキルが表面上完璧であっても、それ「だけ」をもって採用方向に持っていくことはしませんでした。
私の中には「足切り制度」があり、例え「自己完結スキル」が100点であっても、面接で確認する「対人スキル」が60点を下回った場合、残念ながら不採用としていました。
逆はどうか、と言ったら、「自己完結スキル」が0点であっても、足切りにはしません。
やはり「対人スキル」の方が重要なので、その点が高い人に足切りを設けるのは得策でないからです。
そのかわり「努力できます」という何らかのプレゼンを面接時にしてもらうか、入社後の努力の約束をしてもらう事にしていました。勿論それで採用となった場合、こちらの前払いになりますが。。
私の会社では門戸を広く開けていたつもりですが、今回のマイナビさん騒動のように、学歴にこだわる企業はまだまだたくさんあります。
能力はあっても、それを証明する手立てがない以上、まず交渉のテーブルにつく為には何が必要か、という事です。
残念ながら、そのパスポートとして「学歴」を求める企業は、非常に多いのです。
では、パスポートがない人はどうする?
という問題です。
今、マイナビさん問題で憤っている人は「パスポートをなくせ!」と叫んでいる状態です。
そういう人は「パスポートの要らない世の中」になるまで、ただひたすらそこに立っているしかありません。
私的には、論外です。
他の選択肢は?
・パスポートを取れるよう行動する
・パスポートの要らない所へ行く
二択ですね。
自分にコントロールできない事は放っておいて、自分がコントロールできる事に集中する、、、成功の鉄則です。
いくら叫んだところで、世の中を変えるのは相当な時間と努力が必要です。
相手を変えようとするより、少しの努力で自分が適応した方がカンタンだし、ラクです。
これは「妥協」ではありません。「対応」です。
ちなみに私事で恐縮ですが、私は後者、パスポート不要の道を選びました。
大学の入学金が払えず、中学の頃から希望していた職業を諦めて軌道修正を迫られました。
当時は、今とは比べ物にならない程の学歴社会でしたので、高卒のまま就職するのは非常に悔しい。
しかし、お金をためてから大学に入るとなると、学歴にもまして現役合格かどうかすら査定に影響するような社会に遅れて参加するのは、もっと悔しい。
自分のせいではないのにツケを払わされるなんて、最上級レベルで、悔しい。
「品質証明書」がないのなら、大きな機械の歯車ではなく、小さな機械のエンジンになる事を選択しました。
不公平な環境を嘆きながら働くのなら、公平な環境を作ってしまった方が手っ取り早い。
で、21歳で起業し、結局「40代で引退する」という目標期限ギリギリの49歳までの28年間、その会社を経営しておりました。
でもやっぱりチョット悔しかったので、20代半ばで時間とお金に余裕が出来た時、「道楽で」大学に入学しました。道楽、と軽く見られるのもそれはそれで悔しいので、本気だ、と思われるように超難関校を選んだため、いろいろな意味で結果的にガチなものとなりました。。。
結局、事業拡大の多忙さで卒業は叶いませんでしたが、世の中にチョット仕返ししてやった気分で、爽快な経験でした。
進学不能を悟った当時は、環境を「不公平だ」と嘆いたのは事実です。
ですが嘆いていても何も変わらない。泣いてもお金は入ってきません。
父の破産によって行動を迫られ、結果的に今の早期リタイア生活があるわけですから、むしろラッキーですし、自分の境遇に感謝すらしています。
結局、偏差値志向って、どうよ
以前流行った「ビリギャル」ではありませんが、偏差値30台からでも、努力すれば70台に到達することはできます。私のように、働きながらでも偏差値70台の大学に合格する事は可能です。
頭の出来が云々言う人も居ると思います。勿論、多少の個体差はあるかも知れません。
それでも、偏差値70の人が全く努力していない、という訳ではないのです。
受験は知能テストではありません。
一定の努力をすれば、一定の結果を得ることができます。
私は、ヒトは平等だとは思いませんが、脳の出来はある程度平等、、、というか、均一に出来ていると信じています。
ですので、偏差値30台、というのは、あまり努力をしていないように受け取れてしまうのです。
低偏差値を責めるつもりはありませんが、学生の本分が学業である以上、やはり「勉強」というやるべき事をやらないのは、その人の性質を語るものだと思っています。
もちろん、これらは「パスポートが必要な道」を選んだ人たちに限定した話です。
学歴など関係なく、一日も早く自分の目指す世界に入るのであれば、全く関係ありません。
学歴が必要な職種を選ぶなら、そうと分かっているのに、偏差値35に甘んじ、他人を逆恨みするのは筋違いだ、という話です。
偏差値35は、頭が悪いからではありません。絶対的な「努力の欠如」なのです。
「学歴志向」は「ブランド志向」
世の中が「学歴」や「資格」を重視してしまうのには、理由があります。
それは、日本人特有の「ブランド志向」と「責任転嫁体質」が関係しています。
何故、ブランドが持てはやされるのでしょう。
それは、多くの人は「商品の選定能力が低い」からです。
カンタンに言うと、「見る目が無い」のです。
「プラダであれば間違いない」「ロレックスなら安心だ」という風に、自分で商品価値を担保できない人たちにとって、ブランドは便利なものです。
以前バラエティ番組で、ある女優さんが着ていたファッションのブランドを聞かれ「ユニクロです」と答えると、皆がビックリしていました。
女優さんが着ると高級に見える、というのが、その女優さんが「ブランド化」されている証拠ですし、またその女優さんは商品選定力があるため、わざわざブランドでアピールする必要も無く、有名人であっても「ユニクロ」という選択肢を持っているのです。
上記の例は、二重の意味でブランド志向の特徴を知ることが出来ます。
付加価値のまやかしと、本質の重要さ、です。
ユニクロの工場で作ったものでも、プラダのお店に並べば何十万という価格で売る事が出来ます。
今はOEMだらけの世の中なので、「さすが日本のメーカーのポテチは美味しいなあ、この間食べた中国製のとは大違いだ」と思っていても、実は同じ工場で作られた全く同じ中国製品だった、と言うようなことが往々にしてあります。
人間の脳なんて、アテにならないのです。
味にも満足感にも、「このブランドなら間違いない」という脳のフィルターがかかっており、五感よりもイメージを先行させてしまうのです。
TVでよくやっている「本物のワインはどっちだ」みたいな企画を見るとよく分かります。
学歴も立派な「ブランド」です。
面接官が、本当に人を見ることが出来る人物とは限りません。
人を見ることが出来る、としても、30分や1時間でその人となりを完全に理解できるハズがありません。
となると、「品質証明書」に頼りたくなる、というのも無理はありません。
根本は、商品選定能力が欠如している「ブランド志向」と同じです。
面接官の「責任転嫁体質」
「責任転嫁体質」について言うと。。。
多くの企業では、面接官も「サラリーマン」です。
もし採用に失敗した場合、、、つまりとんでもない人間を採用してしまう場合もあり得るので、、、その場合の、自分に責任は無い、という上司への弁明材料として、学歴や資格が使われることがあります。
「一流大学出だから、まさか計算に弱いとは思いませんでした」とか、「TOEIC900点だったので、まさかこんなに話せないとは思いませんでした」とか、どうしても逃げ道を用意しておきたいのです、人間なので。
つまり、世の中にブランド志向がはびこっているのを逆手に、自分の逃げ道にソレを利用する面接官が意外に多い、ということです。
もし「学歴を重視した採用で失敗した人事担当者は、3千万円の罰金」などという法律が出来たら、学歴など見向きもされなくなり、結果この世から学歴採用は絶滅するでしょう。
「それ以前に、人事担当になんか誰もならなくなる」というツッコミ、ありがとうございました(笑)。
面接は、受ける側が企業を査定する時間でもある
なんだか、ここまで書いていて、気分が暗くなりますね(笑)。
私には全く無縁の世界なので、こういった問題で悩まれている方々の痛みについては、無責任に「分かるぅ~」などとは言えません。
しかーし!
私は思うのです。
学歴なんかでギャーギャー言う企業は、こちらからお断りだ!
というくらいで良いんじゃないかな、と。
面接だって、「こっちが貴方たちを見定めてやる」くらいでいいんです。
面接をしていて思うのですが、皆さんどうしても「自分の方が選ばれる立場だ」と思っているのか、下手(したて)に出過ぎです。
面接は、双方が対等です。
働く時間は、普通なら睡眠時間よりも多く、1日で最も長い時間です。
そんな大事な時間を過ごすのに、こちらから選びに行かない手は無いでしょう。
面接は、受ける人が企業を査定する時間でもあるんです。
結婚と同じです。
どっちが優位、ということも無い。
相思相愛が一番なんです。
今の時代、むしろ自分の転売を前提にした方が賢明
何故か皆、新卒採用時にベストを目指し過ぎている気がします。
永久雇用も終焉を遂げ、努力しない人はどんどん居場所が無くなる時代です。
入口にこだわるのもいいですが、入った後の方がはるかに大事です。
転職という事実が再就職に不利になる、ということも、どんどん減っていくでしょう。
ある採用の時、人事担当者が「この人は、若い頃からずっと一社のみで頑張っている。そこが良い。システムも自分が担当していて、自信があるらしい」という事で、その人の履歴書と職務経歴書を持って、私のところに相談に来ました。
私は「この年齢でずっと一社で頑張ってきた、というのは、逆に他を知らない、という事だよ。根気がある性格なのは分かるけど、究極な経験不足、という懸念があるよね」とアドバイスしました。
結局採用されたその人は、やはり全く使い物になりませんでした。
問題は、結果的に「自分をいかに高く売るか」です。
なにも「最初から高く売る必要はない」のです。
もちろん、最初から高く売るために、多くの人は頑張って勉強して、より良い条件での就職を目指しています。
職種によっては、受験と最初の就職試験で、一生が決まってしまう場合もあります。
そういった「失敗の許されない世界」を目指すのもアリでしょう。
でも私は「失敗しても挽回できる、フェアな世界」を選択した方が、自分の為になる、と信じています。
逆に言うと、挽回するための努力ができなければ、全く意味がありません。
先ほど「転職回数が不利にならない時代になる」という話をしましたが、それにも条件があります。
数か月で転職を繰り返しても、経験値は増えません。
企業の決算は1年です。最低1年は居ないと、その企業のイベントを一通り見ることは出来ません。
さらに、世の状況は年によって変わります。
景気もありますし、今回のコロナのような特殊な状況もいつ起こるか分かりません。
そう考えると、1年の経験というのは十分ではありません。
業種や年齢などがあるので、正解はありません。
1年で十分なケースもあれば、3年は必要なケースもあるでしょう。
そのあたりは、慎重に見極めなければなりません。
「その企業での経験が十分に得られた」という実績がなければ、ただ転職を繰り返しているだけでは、やはりデメリット以外の何物でもありません。
特に今後は、その会社で最低でも「マネジメント経験」を積んでからの転職をオススメします。
転職するたびに、マネジメント経験をお土産にするのです。
これについては、機会があったら別記事にしたいと思います。
ワンポイント: 就職は究極の営業活動
就職は究極の営業活動です。
自分をいかに高く売るか、という、究極の営業です。
何も好んで安売りする必要はありませんが、最初から高く売る事にこだわり過ぎる必要はありません。
失礼ながら、最初から(ビジネス的)価値がある人間なんて、そうは居ないのです。
あせらず、時間をかけて、自分に付加価値を付けていくのが先決です。
学校名がどうだ、だの、どうでもいい事に不満をぶつけているヒマがあるなら、そんな企業に安売りしなくていいように、自分を磨いていた方が得策です。
ああ、今回もつい熱が入ってしまいました!
今回の騒動については、「どっちもどっち」だとおもいましたので、双方の言い分、また双方の駄目な部分、を、ザっと書いてみました。
勿論これは私見なので、正しいかどうかは分かりません。
が、経済活動というメリーゴーランドから降りた人間である私の、外から見た感想ですので、まったく間違っているわけでもない、と、個人的に思っています。
ところで、メリーゴーランドって、どこが先頭??
先頭なんて無いんだ、ということは、降りてみないと分からないものですね。
それでは、また別の記事でお会いしましょう!

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